灰まで活かす
天然樟脳づくり

樟脳の製造工程

1 / 樟の丸太を適当な大きさに切り、樹皮を荒剥ぎし、小石や釘などの異物を取り除く。

樟材は大川市の材木市場で仕入れるほか、頼まれて伐採したものも使う。チェンソーで材を切るのは清一さん、樹皮の汚れを掻き取るのは和代さんの仕事。

2 / 下準備が終わった樟を切削台に載せる。

切り分けても数十キロの重さがある材を、二人で力をあわせて載せる。樟脳成分は季節によって変化する。春から夏に伐った樟からは精油が多く採れ、秋から初冬の樟は結晶の量が増える。また、樟の樹齢や育った場所、部位(枝、幹、根など)によっても違う。

3 / 円盤型の切削機(カッター)に樟材を押し当てて、チップ(木片)にする。

刃は12枚。樟脳成分が最も抽出される形にカットできるよう、形や角度が工夫されている。「木目に沿って刃を当てないと、材が飛び跳ねて危ない」と清一さん。節の有り無しでも当て方を変える。簡単なように見えて、腕力と熟練が必要な作業である。

4 / 削られたチップは切削機の後ろに飛び出し、山状に積み重なっていく。

カットされたチップには、蒸気が通りやすいように細かなひびが入っている。写真下右は削られた樟材。刃の形に沿って削られた跡が見える。モーターでベルトを動かし、回転させるこの円盤式切削機が発明されるまでは、手斧で削っていた。

5 / チップを甑の投入口がある2階に上げる。

2階で待ち構える清一さんと声を掛け合い、ベルトコンベアーに乗せるチップの量を調整する。

6 / 甑にチップを詰める。

甑には1.5〜2トンのチップが入る。蒸気が上にも横にも回るように、チップを「つき棒」と呼んでいる杵でよくつき固める。上手に詰めないと、蒸気がそのまま上に抜け、樟脳成分が十分に抽出できない。

7 / 竈の上から燃料を入れる。

燃料は蒸留済みのチップを使う。竃の燃焼具合に応じて、随時、追加する。

8/ 樟脳成分を逃がさないよう、甑の蓋をしっかり閉める。

甑の下部には水を入れる釜が組み合わされていて、毎回、蒸留時に減った分だけ水を補う。甑は圧力釜のような仕組みで、内部の温度は100℃以上になる。

9/ 竈に火を入れ、樟脳成分を蒸留する。

竈には燃料自給装置が付いている。焚き口のロストル(鋳物製で、幅を調整して空気の取り入れ量を加減することで燃焼度をコントロールできる)との組み合わせによって一定の強い火力が持続する。チップを焼いた後の灰は、業者を通じて、鹿児島の郷土菓子「灰汁巻」の製造に使われる。

10/丸1日かけてチップを蒸す。

朝、竈に火を入れ、丸1日(9〜10時間)蒸し続け、夕方、甑の蓋を開ける。そのまま置いておき、翌朝、新しいチップと入れ替える。

11/チップを詰めて蒸す作業を 3日間繰り返す。

蒸し終わったチップを1階の取り出し口から掻き出し、ベルトコンベアーで2階に運ぶ。この作業を3回繰り返す。

12/蒸し終わったチップは、乾かして燃料として再利用する。

甑から出したばかりのチップには、わずかだが樟の香りが残っている。

13/甑から発生する蒸気を冷却槽で冷やし、樟脳と樟脳油に分離させる。

3日間、冷却槽の上蓋に地下水を流し続けて蒸気を冷やした後、蓋を開ける。いちばんの楽しみであり、緊張もする一瞬。板で仕切られた冷却槽の中では、淡いクリーム色をした樟脳の結晶がシャーベット状に浮かんでいる。蓋の裏にも樟脳の結晶が付着している。

14/樟脳の結晶をすくい上げる。

結晶を篩(ふるい)に上げる。下の琥珀色の液体が分離した樟脳油で、アロマオイルとして使われる。

15/樟脳の結晶を集めて、圧搾機に移す。

冷却槽から引き上げた樟脳の結晶を大鍋に移し、圧搾機まで運ぶ。

16/樟脳の結晶を圧搾し、油分と水分を搾る。

朝、圧搾機に樟脳の結晶を入れて夕方までおき、一晩かけて圧搾する。このとき分離する樟脳油も虫除けなどに使われる。

17/圧搾機から樟脳を引き出す。

翌朝、圧搾機を止め、麻網ごと固まっている樟脳を引き出す。圧搾機は「玉締め式」と呼ばれるもので、上に重しをセットして使う。麻網は、結晶を取り出しやすくするための工夫。

18/樟脳の結晶を取り出す。

麻網を開き、樟脳の結晶を取り出す。圧搾機から取り出した樟脳は、雪の塊のように真っ白になっている。約5トンの樟のチップから、合わせて30〜40キログラムの樟脳と樟脳油が採れる。

できあがった天然樟脳。 この塊を割り、形を整えて商品に仕上げる。

内野樟脳の樟脳づくりは、幕末に改良された土佐式製造法にさらに改良を加えた「回収式」といわれる方式である。土佐式は、素焼鉢の代わりに冷却槽を使うことで樟脳の収量を飛躍的に高めたが、回収式では、冷却した後の蒸留水から樟脳の結晶と樟脳油を再回収できる。樟の精油成分を可能な限り抽出するシステムといえる。

内野清一(うちの・せいいち)略歴

昭和26年(1951)福岡県三潴郡瀬高町(現・みやま市瀬高町)に生まれる
昭和45年(1970)旧瀬高町立水上小学校、東山中学校を経て、久留米工業大学附属
高等学校(現・祐誠高等学校)自動車学科卒業。トヨタ自動車(株)に就職し、名古屋へ
昭和48年(1973)名古屋から福岡市へ
昭和59年(1984)帰郷し、父の仕事を継ぐ
平成22年(2010)6月死去。58歳

内野和代(うちの・かずよ)略歴

昭和26年(1951)福岡市に生まれる
昭和41年(1966)吉塚中学校卒業後、専門学校へ
昭和49年(1974)㈱日本技建福岡支社入社
昭和52年(1977)内野清一と結婚
昭和59年(1984)清一とともに樟脳づくりを始める