樹齢百年樟伐採同行記

樹齢百年樟伐採同行記

筑後最後の「木登りさん」

 「伐採を頼まれているけれど、一緒に行きますか」。清一さんの誘いで、樟の伐採現場を拝見する機会を得た。
 下見した清一さんの説明によると、檀一雄ゆかりの寺として知られる善光寺(瀬高町小田)の礼拝所横の樟で、落葉や古枝で屋根が傷むため、梅雨に入る前に伐ることになったという。幹回り二・三メートル、高さ二十メートル、樹齢は「百年くらいかな」。
 作業を仕切るのは、筑後最後の「木登りさん」といわれる、大場愼一さん。昭和八年(一九三三)生まれ。二十二歳でこの仕事を始めてから五十年以上、九州はもとより、請われれば岡山辺りまで出かけて仕事をこなす樹木伐採のプロである。
 朝九時、現場に着いた大場さんは、今日の相手をじっと見上げて、しばらく動かない。作戦を練っているのだ。樟は、地上五メートルほどのところから三本に分かれ、木の高さと同じくらい横にも枝が伸びている。主幹のすぐ横に礼拝所の建物があるため、伐採した枝で屋根や瓦を壊してしまうおそれもある。

伐採する樟を見上げる大場愼一さん。

作業前のチェック。写真はワイヤーと、ブームの先につけるフック。

御神酒と塩を供えて作業の無事を祈る。

準備を整え、樟に向かう大場さん。

善光寺。

ロープ一本で、上へ上へ

大場さんが枝下ろしの作業に取りかかった。ヘルメットに長地下足袋、腰に四メートルほどのロープを巻き、ベルトからは小型のチェーンソー、ワイヤー、太ロープと、先にY字形の竹の枝を付けた短い棒を下げている。どんな巨樹でもこれで充分らしい。
 根元に梯子を立てかけて登り、そこからは、幹に太ロープを回しかけ、両腕と両脚を幹に絡ませるようにして登っていく。腰に巻いたロープを幹に結んで安全を確保し、目星をつけた枝にワイヤーをかけ、クレーンのブームの先のフックと結び、チェーンソーで枝を切り落とすのである。

太ロープを枝にかけながら木に登る大場さん。腰に回したロープが文字通りの命綱である。

ただ切ればいいわけではない。切り落とした瞬間、枝が重さでどう動くか、幹はどの方向に揺れるかを予測した上で、切る場所を決め、チェーンソーを入れていく。
 クレーンを操るのは、池田庄次郎さん。清一さんや大場さんとは古くからの仕事仲間である。

枝下ろし作業。全体のバランスを見ながら、一枝ずつ進められる。

伐り倒し作業。樟は建物と反対側の山の斜面を利用して倒された。

作業を見守る清一さんと和代さん。

作業を終えて一息つく大場さん。

 大場さんと無線でやりとりしながら、池田さんは切り落とされた枝をワイヤーで引くタイミングを見計らう。少しでもずれると枝で屋根を壊しかねない。張りつめた空気の中で、細い枝から太い枝へ、脇から幹の近くへ、作業は順に進んでいく。
 豆粒ほどの大きさになった大場さんが、樟の葉の間から見え隠れしている。一度も木から下りていないのに、刻々と変わる全体の姿が見えているらしい。枝の重さが増し、クレーンの揺れが大きくなっても、その動きには迷いも力みもない。
 枝下ろしを終えて下りてきた大場さんが声を掛け、作業はいよいよ伐り倒しへ。根元に斜めの切り込みを入れられた樟は、計算通り山肌に沿って倒され、夕方四時、作業は無事に終了した。

手作りの道具。写真は手の届かない枝にロープをかけるときに使う。

ロープ。木に登るときや樹上での移動、安全確保などに欠かせない。

(右から)ワイヤーとクレーン用の滑車、金槌、楔。

吊り上げ用の滑車と釘。釘は足場になる枝や節がないとき、幹に打ち込んで使う。

内野清一(うちの・せいいち)略歴

昭和26年(1951)福岡県三潴郡瀬高町(現・みやま市瀬高町)に生まれる
昭和45年(1970)旧瀬高町立水上小学校、東山中学校を経て、久留米工業大学附属
高等学校(現・祐誠高等学校)自動車学科卒業。トヨタ自動車(株)に就職し、名古屋へ
昭和48年(1973)名古屋から福岡市へ
昭和59年(1984)帰郷し、父の仕事を継ぐ
平成22年(2010)6月死去。58歳

内野和代(うちの・かずよ)略歴

昭和26年(1951)福岡市に生まれる
昭和41年(1966)吉塚中学校卒業後、専門学校へ
昭和49年(1974)㈱日本技建福岡支社入社
昭和52年(1977)内野清一と結婚
昭和59年(1984)清一とともに樟脳づくりを始める