恵まれた
土壌と気候
「糸島」

日本酒 職人 田中克典「糸島という環境」

糸島の風土の恵み

 玄界灘から吹く風をうけ、稲穂がシンフォニーを奏でる。青空を背景に、盛夏、初秋と季節を迎えるたびに背丈を伸ばし、自然と頭を垂れゆく一本の穂と、一粒の米。日本酒の根っこともいえる命である。
 良いものを造るために、最高級の原料を追究したくなるのは作り手の性だろう。日本酒にも、酒造好適米という特定品種がある。なかでも旨い酒を醸造するための諸条件を備えた酒米のサラブレッドといえば、山田錦をおいて右に出るものはない。
 その全国で認められた米が、糸島では昭和26年(1951)の作付け以来、全国三位(平成27年現在)の生産量を誇る。寒暖差があり、台風の影響が少ないために品質が安定し、産地として定着。自然の恵みは計り知れないものがある。
 糸島市は、玄海国定公園に指定された風光明媚な玄界灘の半島部と平野部から構成される。半島部は、筑紫富士と呼ばれる可也山(標高365メートル)などの低山が連なり、平野部を囲むように脊振雷山県立自然公園を有する標高500〜1000メートル級の脊振山系がそびえる。山々の土壌に降った雨水は、白糸の滝を有する長野川や雷山川、瑞梅寺川などを経由し、肥沃な沖積低地である糸島平野へと注がれ、古代より人々の暮らしを潤してきた。高い栄養価を含む清冽な伏流水はミネラル豊富で、米や純米酒の品質にも大きく貢献している。
 また日本海側の夏は好天が続き、日照時間も十分にとれるため、稲穂の成長に良い。このことからも糸島は、酒造りの神に見初められた国内有数の地といえるだろう。

山田錦の実りから収穫までの四季折々。 山田錦は穂が長く、粒子が大きいので 収穫前はずっしりと頭を垂れる。

伊都国と糸島

平野と海が広がるのどかな糸島の風景
白糸の滝 白糸酒造の名の由来でもある美しい滝。 背振山系の羽金山(標高約900m)の中腹、川付川の水源近くにある。 川付川はやがて長野川となって水田や白糸酒造の酒造りを潤す。

 バブル崩壊後、大量生産と効率重視の社会を見直し、より人間らしい地に足のついた暮らしを求める動きは、“スローライフ”という言葉を生み出した。その代名詞ともいわれるのが、糸島である。豊穣な自然を享受する生活は、都会人にとって理想郷なのだろう。今や福岡市や九州に留まらず、全国各地からの移住者も数多い。
 福岡県北西部に位置する糸島市は、平成22年(2010)に旧前原市と旧志摩町、旧二丈町が合併して誕生した新しい街である。人口は、約十万人。福岡市のベッドタウンとして通勤・通学者も多い。
 『糸島郡誌』(糸島教育委員会編・1927年発行)でも「特に本村の米は其米質の佳良を以て天下に鳴る」と讃えている。
 糸島が初めて歴史上にその名を連ねたのは、『魏志倭人伝』である。女王卑弥呼が君臨する邪馬台国連合のクニのひとつ「伊都国」がそれだ。
 現在の三雲・井原遺跡の辺りに歴代の王を据え、中国の帯方郡の郡使が邪馬台国に渡る際、駐在したとも記される。それを裏付けるかのように糸島市には、国宝級の出土物が多く現存している。
 糸島の名は、奈良時代の怡土郡と志摩郡が合併したところからきている。前者の怡土は、弥生時代に記された『魏志倭人伝』の伊都国と同じ読み方をするため、かつての王朝「伊都国」の所在地がこの地だったのではないかと推測されている。
 いずれにしても、同様に記述された玄界灘に位置する一支(壱岐)や対馬、末慮(松浦)などと同様に、日本最古の地名を有する由緒ある地であることが伺い知れる。
 名勝の地も多い。羽金山の中腹にある白糸の滝もそのひとつ。落差約24メートルと規模は小さいが、陽光に照らされた飛沫が黒々とした岩肌をつたい、白い糸のように輝くさまには目を見張る。先の郡誌にも「白布を大空より懸けたるが如く岩にくだけて飛沫を散す、その響雷の如く風無けれども樹撼ふ」と賛美している。
 海と山、川、平野は、かけがえのない自然の財産だ。この豊穣の地に根を張る人々は糸島を愛し、糸島の幸を糧に、感謝しながら生きている。

田中克典(たなか・かつのり)略歴

昭和59年(1984) 福岡県糸島郡(現・糸島市)に生まれる
平成14年(2002) 福岡舞鶴高校 卒業
平成18年(2006) 東京農業大学 醸造科学科を卒業
平成19年(2007) 独立行政法人 酒類総合研究所に研究生として入所
平成20年(2008) 佐賀・五町田酒造の勝木慶一郎氏に師事
平成21年(2009) 実家に戻り、白糸酒造8代目を継承
         「田中六五」の初仕込み
平成27年(2015) 「田中六五」6造り目を終え、現在に至る