二千年
変わらぬ技法

「宙吹き」の制作工程

【被せ皿をつくる】

1

右の坩堝でガラス生地(緑色)を熔かし、細かな気泡をつくるために、少量の水と油をつけた生地上げ棒でかき混ぜる。ジュッという音とともに、一瞬、炎と黒煙が高くあがる。

2

左の坩堝から、熔けたガラス生地(淡黄色)を吹き竿の先に巻き取る(玉取り)。

3

台の上で形を整え、軽く吹いて、器の芯になる部分をつくる。

4

息を吹き込みながら竿を回し、下玉の形を整える。ここまでの作業が「玉取り」。

耐火レンガと耐火コンクリートで手づくりした窯には、2つの坩堝と、成形したガラスの熱と歪みを取り除くためのスペース(徐冷窯)が組み込まれている。右の坩堝が1250℃、左が1350℃、徐冷窯が500℃を保つように加熱する。通常、右の坩堝はガラス生地の熔解に、左の坩堝は焼きもどし用に使うが、この器のように2色のガラス生地を使う場合は、左右の坩堝で1色ずつ熔解する。

坩堝。温度はガラス生地の色で判断する。
徐冷窯。レンガ片を使って火道と温度を調整する。

5

下玉の上に、さらにガラス生地を巻き付け、リン(鉄輪)の中で回しながら生地を均し、形を丸く整える。

6

吹き竿ごと右の坩堝に差し入れて、気泡入りのガラス生地を巻き取る。

7

吹きながら、リンの中で生地を回して形を整える。

8

「リンで回す→竿ごと振り、重みで伸ばす→息を吹き込む」を数回繰り返し、生地を少しずつ大きくしていく。

吹きガラスの技法は二千年前に発明されて以来、燃料がコークスから重油や電気、ガスになった程度で、基本はほとんど変わっていない。使う道具類も同様で、基本は吹き竿と西洋バシである。

道具類。上から、生地上げ棒(坩堝の中に残った生地を引き上げる)、鋏(口や縁の生地をカットする)、やっとこ(坩堝の蓋をつかむ)、吹き竿、ポンテ竿、西洋バシ(口を広げたり、形を整える)。鋏と西洋バシ以外は手製。

師匠譲りの吹き竿は一般的なものの半分以下の長さ。リブ管(ガス管の一種)を切り、吹き口をグラインダーで削って吹きやすくしている。熱で少しずつ溶ける先端を切りながら使うため、徐々に短くなる。コンパクトで小回りがきくが、その分、窯近くでの作業になるため、作業中はつねに100℃の熱に晒される。左はポンテ竿。

リン(鉄輪)。スピンドル油を塗って使っている。

9

ポンテ竿に少量のガラス生地を付けて形を整え、底の中央に押し当てて熔着する。この作業を「ポンテ」(イタリア語で「橋」の意味)という。

10

ポンテが固まったら、吹き竿側のガラスに少量の水をつけて急冷し、軽く叩いて吹き竿を切り離す。

11

左の坩堝に入れ、再加熱(焼きもどし)して、切り離した部分を軟らかくする。

12

台の上でポンテ竿を前後に転がしながら、西洋バシを口に差し込み、少しずつ広げる。

グラス・バッチ(調合済み原料)。求める色に応じて組み合わせ、熔かして生地をつくる。発色には銅(濃い青色)、セレン(赤色)、マンガン(紫色)、銅クローム(緑色)など、さまざまな金属酸化物が使われる。

13

余分な生地を鋏で切り取る。

14

切り落とした部分が皿の縁になる。

15

西洋バシを縁に差し込み、切り口を整える。

16

生地が固くなったら、坩堝に入れ、ゆっくり回しながら生地を焼きもどす。

17

台の上で回しながら、西洋バシで少しずつ縁を広げていく。

18

縁が広がり、ガラス生地がほぼ平らになった状態。

19

表と裏からチェックして、形を整える。

20

仕上げ後は徐冷窯に移し、一晩かけて徐冷する。「ガラスの寿命は徐冷で決まる」といわれるほどで、この過程をおろそかにすると、わずかな温度変化でも割れてしまう。徐冷窯から、さらに段ボール箱に移して徐冷することがあるのは、このためである。

「型吹き」の制作工程

【壜をつくる】

1

吹き竿の先に熔かした少量のガラス生地を巻き取る。これが首になる。

2

リンの中で吹きながら生地を均し、形を整える。

3

坩堝から生地をたっぷり巻き取り、リンで均して、形を整える。

4

耐火レンガを組んだ型に飴状のガラス生地を入れ、息を吹き入れて膨らませる。

2kg近くのガラス生地を吹き竿一本で成形するため、生地が空回りしないように、手元には自転車のチューブを巻き付けて作業する。生地が軟らかすぎても固すぎても失敗する難しい作品。刻々と変わる生地を相手に動く姿は、さながら格闘技を思わせる。

5

坩堝に差し入れて熱を加え、焼きもどす。

6

坩堝から取り出し、吹き竿を持ち上げて、西洋バシで底の形をおおまかに整える。

7

ポンテ竿の先に少量のガラスを巻き取り、台の上で回してかたちを整える。

8

底部にポンテ竿を押し当てて、熔着する。

9

ポンテが固まったら、吹き竿側のガラスに少量の水をつけて急冷し、軽く叩いて吹き竿を切り離す。

10

首の部分を坩堝に入れて焼きもどし、軟らかくする。

11

首の部分を西洋バシで少し引き伸ばし、形を整える。

12

徐冷窯に入れ、翌朝まで徐冷する。

メモ魔である。工房の壁のいたるところに、原料ガラスの配合比や記号のような文字が書かれている。そして、独立した最初の日からの数十冊のノート。朝、窯に点火した時間から、生地を何時にどれだけ投入したか、バーナーの調子や吹き始めた時間、贈る品を準備する友人の誕生日まで、あらゆること記してきた。ノートは「支えであり、気持ちを落ち着かせるもの」だという。一日一日をていねいに生きる姿勢は、作品を貫く勁さと細やかさにも通じている。

吹く。吹くことに、己のすべてを託して、吹く。

吹き型いろいろ。定番のグラスなど、同じ大きさのものを数多くつくるときには、写真のような型を使う。なかでも、「モール」といわれるラインが入ったコップや壜を吹くときは、缶詰の空き缶を利用した型の出番。缶の内側に針金を上下に渡して手づくりしたものだ。この型にガラス生地を吹き入れ、同時に少しひねると、魅力的な模様が刻まれる。

横山秀樹(よこやま・ひでき)略歴

昭和25年(1950) 3月2日、福岡県飯塚市に生まれる
昭和47年(1972) 飯塚市立幸袋小学校、同飯塚第一中学校、福岡県立嘉穂高等学校を経て、福岡大学商学部卒業。          民芸品店「備後屋」(東京)に入社
昭和48年(1973) 倉敷にて倉敷ガラス創業者・小谷眞三氏のガラスに出会う
昭和52年(1977) 小谷眞三氏に師事する
昭和56年(1981) 岡山県船穂町(現・岡山県倉敷市船穂町)に窯を築く
昭和59年(1983) 福岡県飯塚市に窯を築く
昭和63年(1987)
独立。クラフト&ギャラリー幹(倉敷市)にて初の個展を開く。
以後、現在まで、倉敷、東京、大阪、名古屋、京都、神戸、福岡、人吉、秋田、千葉、金沢、広島等、全国各地のギャラリー・百貨店・クラフトショップで個展を開催。平成6年(1994)に飯塚に本拠を移し、平成14年(2002)からは、コペンハーゲン(デンマーク)の日本国大使館を皮切りに、フルーム(イギリス)、ロンドン(イギリス)、ベルガモ(イタリア)など、海外でも個展を開催